ポルトガルを出発地として選んだのは2月出発だから南欧は暖かそうだったのと、ヨーロッパ西端の国という事で、他の国をぐるっと回るのに都合が良かったからだと記憶している。要するに何となくだった。
結果、この国が自転車旅行とは何か、教えてくれた気がする。
日本から約23時間。大航海時代より海の玄関口である港町、リスボンに着くと、まずはじめにシントラというユーラシア大陸西端の街へと向かった。気温は自転車を漕ぐには丁度良い涼しさ。
ユーラシア大陸最西端のロカ岬、神秘の迷宮レガレイラ宮殿、ロマン主義のカラフルなペーナ宮殿等、見所の多い幸先の良いスタート。
しかし、出発して1週間僕は一つの違和感に気付いた。
「あれ、なんか坂多くね?」
ポルトガルは丘が多く、あまり平坦な道がない。
日本で筋トレして自転車旅行用の体づくりをしていた訳でもなく、漕いでも中々進まない30kgの荷物を積んだ重い自転車に、出発1週間で
「何で自転車を選んでしまったんだろう・・・あと300日あるぞ・・・クソなげーな」
と若干心を折られかけていた。
それでも道中、地元民との出会いや気持ちの良い景色がふと現れると、疲れていてもシャッターを切った。
相次ぐポルトガルの坂攻撃に心を粉砕され、
「ポルトガルはバスに自転車をそのまま載せられるのか。」
という調査の名目で10km程ショートカットしたのが全ての間違いだった。
旅を初めたばかりで、自分の荷物の数さえ把握してなかった僕は、バスの中にパスポートの入った鞄を丸々忘れてしまったのだ。
出発9日目にしてパスポートを紛失した。
連絡を取ろうにも次の日は祝日でバス会社の窓口が開いていないため、荷物の確認が出来なかった。
幸いにも宿泊先のホステルの主人が「パスポート無くしたんだって?しばらくはパスポートなしで泊まって良いよ。」と理解を示してくれたり、同じ日本人の宿泊客がいたりと色々助けになりながら、地元の警察へと向かった。
トマールという町の地元警察に事情説明。文字通り旅が「止まーる」になってしまった。
彼ら、全く英語が通じない。Google翻訳を使いながら無くした場所、荷物の中身を英語→ポルトガル語で伝え、ポルトガル語→英語で回答をしてくれる。
2時間ほどやりとりして調書が完成。
文明の利器に感謝しながら連絡を待っていると、その日の夜、パスポートの入ったカバンが丸々帰ってきた。
この事件は自分の適当さを反省するのと同時に
「ポルトガルってめっちゃ良い国じゃん。」と一気に好きになる出来事になった。
言葉の通じない外国人に真摯に対応してくれる地元警察、色々入ったカバンの中身を盗むこともなく届けてくれたトムクルーズ似の運転手、パスポートが帰ってきた後、幸せな気分で帰路に着くと一緒に喜んでくれる地元の若者。
パスポート無くさなければ気付くことがなかったこの国の暖かさは、絶景に勝るとも劣らない強烈な印象に残った。
ポルトガルでは毎日、パステル・デ・ナタを食べていた。
どこでも1ユーロ(120円)で買えるポルトガルのエッグタルトは朝食にもおやつにも最適。立ち食いならぬ、自転車で走り食い。
ポルトガルのハイライトは、奇岩の村、モンサント。
人口100人程の小さな村には、時空が歪んでしまったかのような不思議な光景。
巨岩が当たり前のように家の中に侵食している。
モンサントでは岩を信仰対象とし、建築の中に岩を取り込んでいた。
この村を知るきっかけとなった佐藤健寿『奇界遺産』で、作者が「レストランで出会ったおばちゃんに助けられて、どうにか岩の上で眠らずにすんだわけである。」と書いているが、僕もこの村での宿探しは苦労した。
村のインフォメーションセンターで「泊まるとこない?」と聞いても、公共の施設ということで教えてくれない。仕方なく近くのレストランでハンバーガーを食べながら、英語が話せる店員のおばちゃんに「泊まるとこ探してるんだけど何処か知りませんか?」と聞くと
「良いところあるわよ。」と宿のオーナーに電話を掛けてくれるのだった。
こうして泊まることができた宿(というか家)には、さるぼぼ的な巨大モンサント人形「マラフォーナ」が立てかけてあった。
夜、トイレに行く時すごく怖い。この時は全く気付かなかったが、あのレストランのおばちゃんはこの村を知るきっかけとなった作者と同じだったかもしれないと考えると、不思議な縁を感じるのだった。
ともかく、ポルトガル人は親切で、地形には「自転車旅行舐めんじゃねえ!」と一喝された素晴らしい始まりの国だった。